一日1分?結婚式挨拶・スピーチ・朝礼等が苦手なあなたも精神的苦痛やストレスから97.8%解放できる名言!!

芸能人の名言や格言、戦国武将、幕末志士、アスリート、歴史人物、世界の偉人、日本の偉人の辞世句なでも紹介しますので、結婚式挨拶、朝礼スピーチな苦手な方でも、これを話すだけで凄い、話し上手と褒められること間違いなしです。どうぞ、このブログを参考にして、挨拶やスピーチを克服してください!また、ここで紹介する名言(格言)、句で、あなたの悩み、精神的負担が少しでも軽減されれば嬉しいです。

プロ野球選手 投手 元メジャーリーガー 投手 松坂大輔の名言-「僕は夢は見ない。常に目標を掲げる。」

目次 1 言葉の意味 「僕は夢は見ない。常に目標を掲げる。」

     雑談・豆知識(中日ドラゴンズの入団テストに合格)

    3 プロ野球選手 投手 元メジャーリーガー 投手 松坂大輔とは

 

  ★1「僕は夢は見ない。常に目標を掲げる。」の意味

 この言葉は、「夢は見るもので叶わないもの。だから、目標を掲げて、目標に向かって前進する。」という意味です。

 確かに、「夢は見るもので、希望(目標)は叶えるもの」だと思います。

 松坂投手は横浜高校の創立者である黒土四郎さんの言葉、「目標がその日その日を支配する。」を、座右の銘としたようです。

 一日、一日、目標をクリアすることの大切さ。

 日々、目標を掲げることが、大事だと思います。

 目標を掲げないと、何に向かって進むのか、わからなくなりますよね(^-^;

 日々、目標を掲げ、掲げた目標をクリアすれば、なりたい、理想の自分になれるのではないでしょうか!

 日々の目標を掲げることをオススメします(^^♪

 

★2 雑談・豆知識(中日ドラゴンズの入団テストに合格)

 松坂大輔投手が、中日ドラゴンズの入団テストに合格したそうです。

 福岡ソフトバンクホークスを退団し、アメリカの独立リーグも視野に入れていましたが、西武ライオンズに入団時に2軍投手コーチだった森繁和さんが監督、西武の先輩の友利結さんが国際渉外担当を務める中日が救いの手を差し伸べる形となったようです。

 見事、テストに合格した松坂投手の背番号は、本人の希望で「99」になったそうです。

 ソフトバンクでは、3年間で1軍登板は、わずかに1回のみでしたが、中日では復活できるのでしょうか。

 松坂投手の高校時代(横浜高校)の雄姿を知っているだけに、復活してほしいと思っています。

 ただ、私は、阪神タイガーズのファンなので、阪神戦だけは良い投球をしないでほしいですね(^-^;

 

★3 プロ野球選手 投手 元メジャーリーガー 投手 松坂大輔とは

 松坂大輔(まつざか だいすけ)さんは、1980年9月13日に青森県青森市で生まれ、後に東京都江東区に引っ越します。

「大輔」という名前は、1980年に大旋風を巻き起こした甲子園のアイドル、早稲田実業の荒木大輔の名前からとられたそうです。

 5歳から小学3年生までは、地元東京都江東区の福住剣友会で剣道に打ち込み、小学3年生で、江東区の東陽フェニックスに入部し、野球を始めます。

 中学時代は、江戸川区の江戸川南リーグ(リトルリーグ)に所属します。

 横浜高校時代は、「サボリのマツ」と言われるほどの練習嫌いでしたが、2年生の夏の神奈川大会準決勝の対横浜商業高校戦で、自身の暴投によるサヨナラ負けを喫して以降奮起して猛練習し、3年生には150km/h超の球速を出し、切れ味鋭いスライダーを武器に超高校級の投手として「平成の怪物」として注目を浴びるようになります。

 1998年の第70回選抜高等学校野球大会では他校を寄せ付けず優勝し、最後の夏となった、第80回全国高等学校野球選手権大会では、決勝の京都成章戦で、史上2人目となる決勝戦のノーヒットノーランという快挙を達成し、春・夏連覇を達成します。

 1998年度のドラフト会議では、指名順位1位で、日本ハムファイターズ、横浜ベイスターズ、西武ライオンズの3球団が競合の末、西武ライオンズが交渉権を獲得し、交渉の結果、西武ライオンズに入団します。

 西武ライオンズに入団した1999年4月7日、初先発となった東京ドームでの日本ハム戦では、155km/hの速球を披露し、8回2失点の好投で初勝利を記録し、鮮烈なデビューを飾ります。

 この年、最終的に16勝を挙げて最多勝を獲得し、ゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞します。

 2000年には、シドニーオリンピック野球日本代表に選ばれ、好投しますが、日本は五輪野球で初めてメダルを逃す結果となります。

 2006年には、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場し、チャイニーズタイペイ戦では4回1失点、メキシコ戦では5回無失点、キューバとの決勝戦では、4回1失点に抑え、先発したすべての試合で勝利投手になり、優勝に貢献し、大会の最優秀選手(MVP)に選ばれます。

 その後のオフには、ポスティングシステムの行使が容認され、ボストン・レッドソックスに入団します。

 ボストン・レッドソックスの初年度は、日本人選手史上初で、メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振に到達し、チームを12年ぶりの地区優勝に導きます。

 2009年には、第2回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、韓国戦では4回2失点で勝利、キューバ戦では6回無失点の好投で2勝目、準決勝のアメリカ戦では、4回2/3を2失点で3勝目を挙げ2連覇に貢献し、2大会連続で最優秀選手に選ばれます。

 その後の2013年2月13日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結びますが自由契約となり、2013年8月に、ニューヨーク・メッツとメジャー契約を結びますが、2014年のシーズン終了後フリーエージェントとなり、3年12億円の大型契約で福岡ソフトバンクホークスに入団しますが、 「右肩関節唇及び腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」を受けた為、3年間で1軍登板は1試合のみとなったため球団は、一度松坂を支配下登録から外し、2018年からは育成選手契約かコーチ契約を結んだ上でのリハビリ継続を打診しますが、これを拒否し、今回、テスト入団で、中日ドラゴンズへの入団が決まります。